「ミリオンダラー・ベイビー」・・・これも見たかった1本。最近はなるべく週に1本は観るよーにしてるんだけど、映画ってひとりで行っても、その世界に入れるからいーよね。
夜の映画鑑賞、今ではすっかりあたしの中では定着しているし、もうやめらんないんだよ。
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クリント・イーストウッド演じるフランキーは、かつて、カットマン(止血係)として数々の試合に付き添ってきた男。その後、カットマンを経て、うらぶれてはいるがボクシングジムを経営。トレーナーとして、何人ものボクサーを育ててきた。そのジムには、何十年来の相棒の元ボクサー、スクラップ(モーガン・フリーマン)もいた。フランキーは、トレーナーとしては優秀だが、試合そのものよりも、ボクサーを愛してるため、どんなに手塩に育てても最後はボクサーのほうから、彼の元を離れてしまう。
ある日、やはりジムでの一番の有望格だったボクサーに去られ、途方にくれていたフランキーのもとに、女ボクサーのマギー(ヒラリー・スワンク)がフランキーのコーチを願いにやってきた。
彼女の懸命さに心を動かされたスクラップは、彼女の持つ可能性を嗅ぎ取ったものの、それでも、フランキーは無視し続ける。しかし、いつの間にか彼女のやる気にほだされ、コーチを引き受ける事に。
マギーは31歳の女性。10代の頃からのウエイトレスの仕事も続けながらも練習を重ねていく。やがて、フランキーのコーチの成果が実り、次々と試合に勝ち進むように。
順調に、ワンランク級の試合でも戦えるようになり、、フランキーのもとには、次々と大きなタイトルの試合のオファーが増えてくるが、なかなか決断ができない。
しかし、ついに英国チャンピオンとのタイトルマッチに挑むことを決意した、フランキーは彼女にゲール語で”モ・クシュラ”と刺繍されたガウンをプレゼント。
このタイトルマッチに快勝したマギーはヨーロッパでの試合でも勝ち続け、いつしか”モ・クシュラ”というネックネームで、ボクシング・ファンの間に名前が広く知られていくように。
とはいえ、ボクサーとして波に乗っていても、裏では家族愛には恵まれず、苦悩を味わうことになるのだが、これがきっかけで、フランキーとの絆はより強まっていく。
そして、いよいよ、100万ドルを賭けたタイトルマッチに挑むマギー。対戦相手は”青い熊”というネームを持つドイツ人のビリー。勝つためなら汚い手を使うことも、容赦ないボクサーだ。
苦戦しつつも、懸命に戦うマギー。しかし、ビリーに強烈なパンチを浴びせたものの、ほんのちょっとした隙に、リング上で悲劇が・・・・果たして・・・彼女は再起できるのか・・・・?
なんせ、”人生”というのがとても、濃く描かれている。トレーナーのフランキー、元ボクサーのスクラップ、そして、ボクサーであるマギーに、立場こそ違えど、共通するのは、生きていくうちに色んなことを背負うことになってしまったことへの苦悩と悲哀、なのだと思う。
でも、この3人は気高く生きている。
個人的に、ボクシングシーンは、なかなか壮絶でもあったけど、自分のやるべき方向が明確で、ひたすら、目標に向かって進んでいくマギーの姿に、今のあたしを重ねて見ることができたし、そういう意味ではとってもパワーをもらったのだが。
「自分の思うような生き方、そして後悔のない生き方」というのはある意味理想かもしれないけど、でも、自分が望んで、その通りに少しでも意識して動くことにより、それは少しずつ現実のものに変わっていくはずだ。
だって、誰だって本当は「後悔しながら人生を送る」ことはしたくないんだもの。そうじゃない?
・・・・ま、そこらへんはともかく。
実際のところ、この映画は、「生命の威厳」であり、「人間愛とは何ぞや?」というところに見事にフォーカスされており、おそらくそこらへんが大きなポイントになるのだろうな。
そして、正真正銘、カラダとココロのぶつかり合いを見事に描き切っている。流石だ。
数あるスポーツの中でも、ボクシングというのが、とりわけ、ボクサー同士の殴り合いであり、体力、気力、プライド、そして、生命がかかっている。・・・だからこそこの「尊厳の物語」が生きて来る。
最後らへんのシーン・・・・「観衆の声が聞こえなくなるのがイヤなの・・・」というマギーに対して、フランキーがとった行動のシーンなんかもまさにそうなんだよね。
あのシーンなんて、ホントにマギーへの尊厳がなかったらまずありえない行動だろうから。
そして、愛について。
ホントのところ、愛には形もないし、●●愛なんていうモノに特定してしまうのもなんか違うような。
ただひとついえるのは、崇高な愛、Steve Winwoodの曲のタイトルにもあったが、「Higher Love」というものをみんな、あたしも含めて、どこかで求めるってことは言えるのではないか。
この映画でもその辺りのところを描いているようにあたしには、思えた。
・・・で、あえてもうひとつ、個人的なポイントを上げるとするならば。
マギーの家族のように、人にぶら下がって生きるのは確かに楽だ。生活保護を受けて、いかにも社会的に弱者のふりをするのはとても楽だ。
だけど、そこに甘え続けていいという理屈は存在しないし、その上で好きなように生きたい(マギーの家族の場合はもう金さえあればいいって感じなんだけど)ってのは、プライドもへったくりもない。だいたい、人間、プライドをなくしたら終わりなんだよ。
人にぶら下がって生きることを最期まで潔しとしなかった,孤高であることにこだわったマギーのように、あたしは生きたい。・・・・映画を観ながら改めて、強く感じた。
この映画が、アカデミー賞主要部門を独占した背景には、やはり、今のアメリカが病んでることへの証でもあるんだろうな。信じていたものが崩壊し、どこに向かっていいのか、分からず立ち往生しているアメリカの姿が見え隠れしている。
そして、その姿はあたしたちが住んでいる今の日本の姿にも重ねてみることができる。