今日は映画の日。月末の締めの作業、思ったよりも早く終わったけど、FAXトラブルがあって、NTTの人が来るという話に。だけど、センパイが残って対応してくれる(前々から宣言してたので^^;)ことになり、無事に映画館に滑り込みセーフ♪毎週できれば1本は見たいから。
で、今回は
ダニー・ザ・ドッグを。
5歳の時に誘拐されてしまい、悪徳高利貸しのバート(ボブ・ホスキンズ)によって番犬、そして闘犬になるべく育てられた男ダニー(ジェット・リー)。そこには人間らしくあることさえ、許されず、迫兼戦闘要員として借金の取り立てと闘いに明け暮れる日々を重ねていた。
そう、犬であることの証明として、彼の首には、常に”首輪”が・・・
ある日、”仕事”と称して、バートとその手下たちとともに、古美術などを扱っている倉庫に行ったときのこと。そこには古びたピアノが・・・
思わず、指で鍵盤を押さえてみるダニー。そこに盲目のピアノ調律師サム(モーガン・フリーマン)がやってきた。
優しく話しかけるサムに、戸惑いを覚えるダニー。しかし、次第に心が通う関係を作り上げていくものの、やがて、バートやダニーが乗った車が何者かに、爆破されたことがきっかけで、サムの家に”家族”として迎えられるようになる。しかし、幸せな日々は長く続かず・・・・・
犬として、それも”闘犬”として、人生を送っていたダニーが、モーガン・フリーマン演じる盲目のサムと、義理の娘ヴィクトリア(ケリー・コンドン)との交流を通じて、”犬”ではなく、”人間”としての自らの姿に目覚めていく。
きっと、何度か、自分って何だろう?って彼は彼なりに悩んだこともあったんだろうけど、それを殺して、日々戦い続けなきゃならなかった悲哀がダニーにはあって。
その悲哀がサムとヴィクトリアによって、少しずつ癒され、自分は人間である、というところに氣がついていくという・・・
ジェット・リーは、(昔、中学生辺りかなぁ・・・そいえば、少林寺見にいったなぁ・・・^^;)その過程に生じた微妙な心の機敏を、ナチュラルに演じており、その辺りはかなり好感がもてた。
初めてアイスクリームを食べたシーンとか、サムと、料理を教えよう、と一緒にスーパーに行って、メロンを手にもち、懸命になって、メロンと対話?!しようとするシーン、あるいは、サムが首輪を外そうとすると、まるでトラウマが蘇ってくるような一見怯えた表情辺りは、ダニーの心情がよく伝わってきたから。
そこらへんがフツーのアクション映画と一線を画するところだろう。
後半にも「もう傷つけたくない!」といいながら、アクションするシーンもあるんだけど、これも、ある意味、この映画の象徴的なシーンのひとつだよね。
ただ、惜しむらくは、ややストーリーが単純すぎたか。
例えば、なぜ、バートがダニーの母親の件に対して、嘘をつかなきゃならなかったのか、あるいは、サムが盲目という設定だったんだけど、盲目というところでの苦悩感(もしかしたら、悟っていたのかな?という突っ込みもできなくないんだけど)とか、ダニーと同じ肉親を亡くしている、ヴィクトリアの肉親に対する思いというのも、もう少し描いていたらまた印象が変わってたかな。
お互い肉親を亡くしている、という部分を共有することで、単にピアノを通じての交流に留まらず、より深いところでの交流のシーンが見れたかもしれないので。
だから、そういう意味ではややアクションシーンが多すぎたか・・・・
もちろん、40を超えてるのに、ジェット・リーのあのアクションの切れの良さは素晴らしいんだけど。このようなアクション映画でもあり、ヒューマンドラマということを謳うのであれば、やはりアクションシーンはもう少し少なくてもよかった。
最後ももう少し劇的な展開になるかなーと思ったけど、意外にあっさりしてたし(笑)
なので、ちょっと惜しかったかな・・でも、素直にダニー、よかったね^^って思える映画ではあります。