声をなくして/永沢光雄
かれこれ1か月ほど前に読みたくなり、注文して、購入していたのだけど、なかなか読むところまで行かず。しかし、やっと今日は1日中、家に篭っていたので、あ、そうそう、読んでおこうと思い、ほとんどの時間をこの本に費やした。
インタビュアーとして、トータルで500名以上ものの方とインタビューし、「インタビューの名手」とも言われた永沢氏が、ある日、下咽頭ガンの手術で声を失ってしまった。
この本は、そんなその闘病生活を約1年にわたり赤裸々につづった日記なんである。
声をなくす・・・・
今のあたしにはとっても想像できないことなのだけど、でもこの永沢氏は、声をなくしても、底抜けに明るい奥方との生活を、自ら自嘲し、ユーモアたっぷりに,まるで、なーんてことない!といった感じで生きている。
カラダはまるで「病気のデパート」状態で、ウツ病、おまけに腸閉塞を患い、沢山の薬を焼酎とともに流し込んでいるという永沢氏であるが、彼から発するメッセージは人間の持つ弱さととことん向き合った者だけが発することができる、崇高で光こそ小さいけれど、パワフルな力を秘めている。
ゆえ、相当、波乱万丈な人生を歩んできた永沢氏の生き様が手に取るように分かる。文章に人生が出ている、というのは何度も見聞きしたフレーズのような気がするけれど、最近読んだ中ではこの本が一番それを感じることができたような氣がする。
そして。
「親が馬鹿なのに、いや、馬鹿だからこそ、お前たちは生きるべきであったのだ。もう一度言う。お前たちは、親や教師に負けてしまったのだ。生き返れー。そして、何をしてもいい、生きつづけろー。生き続けるだけだよ。てめえにできることは。」
自ら死を選ぶことは、簡単。そして、生き続けることは案外大変なことなのは百も承知。
だけど、どうせなら生きるなら、もっと笑って生きたい。
どんな人生でも、仕事においても、たっぷりと遊んだ、と思ったらその時は死ぬことを考えればいいのかもしれない。
今が苦しくても、八方塞がりであっても、最後は落ち着くとこに落ち着く・・・・
改めて、そう思わせてくれた本。
だって、あたしなんかは永沢氏よりも苦しんでるとはいえ、まだまだ序の口。
だから、簡単に人生を放り投げてもいけないし、しちゃいけない。
そう、誰にでも、生きてる証として、自分が本当に望む人生を得る権利はあるんだから。
人間、誰ひとりとして同じ人はいないというし、ゆえ、こんなあたしだけど、それでも・・・社会の中で生きていく理由はあるはずなのだ。
永沢氏の文面の中には社会につながっていたいと願う一面も覗かせているのだけど、うん、その部分においてもすっごく共感できる。それが本来の人間としての欲求だと思うから。
だから、社会にもつながっていたいし、つながっていかなきゃいけない。
だって、人間は極めて社会的な動物。それに氣づいてない人もいるけれど、それって凄く不幸だよね。ホントに、自分の限られた範囲の中で生きていないんだから。
(そんな人でも生きてることには違いないだろうけど、意味合い的には雲泥の差のような氣がする。)
ともかく。
生きるということは、しんどいけれど、光を掴めば、その喜びはとてつもなく大きい。
それをひとつでも多く体験したいし、するために色んなハードルが用意されてるんだよね、きっと。それを信じてあたしも、生きてゆかねば。
・・・だからこそ、色んな意味で今、どん詰まりになってる方には、この本是非おすすめしたいと思う。共感できる部分も多いと思うし、どうせながら逆境の中にあっても永沢氏のように笑って飛ばせるくらいにはなりたい、と思うもん。
それにしても永沢氏の奥方は素敵だよ。あたしも、愛する人が逆境にあっても、朗らかでいたいよね。お手本にしたいくらい素敵。