つい、何日か前の投稿でも書いたんだけど。
今、ある本を読んでいて、これが矢野先生の本と同じくらいのインパクトを与えてくれており、自分の中で今、少しずつ何かが変わろうとしてる。
その本はツキに関する本なんだけど、結構自分の中で先々、生きていくうえでのヒント(および仕事のヒントとでもいおーか)になりそうで。
その中で、ひとつひっかかってるのがあり、今回はその話を。
さて、この分離不安とは?
人間は独りで生きることが(たとえ、ひとりで住んでたとしても)できない動物であり、数の話ではなく、精神的に他人とつながっていない状態のことを指す。
あたしは、知人も友達もそれなりの数はいる、と思う。
どんなに辛くても人の前に出るとジョークも飛ばせるくらいのキャラらしく、無意識ながらも明るくいようとやっちゃうタイプ。
だけど、実際は常に分離不安を抱えて生きている。
確かに、精神的につながってる(と思ってる)人は何人かいるけれど、彼らは自分の身近なところには住んでないし、たまーにかかわりを持つことで、ああ、繋がってるなぁ、と思ってる状態だったりする。
本当は今の日々の生活の中において、分離不安を満たすような存在がいればいいのだけど・・・残念ながらいない。
さて、この分離不安を人間が感じると、頭の中にある扁桃核が”不快”に変わり、そうなると、無意識に不安と恐怖を感じるようになる。
そして、結果的に「~しないようにしよう」という自己防衛本能を呼びさますことになる。
日本人は今まで、家庭とは別に会社というもうひとつの家族が存在していた。競争社会の中で、自分の存在価値を会社の中に求め、そうすることによって、自己のアイデンティティを図ることができていた。
しかし、今はそれが崩れ、あくまでも個人として戦い、自分自身で意識して、自分の道を切り開かないと生きていけなくなってきている、というか、もうそうなりつつある。
そう、まさにアメリカが長いこと辿ってきた道を同じように進もうとしている。
自分の夢を果たそうということばかりでなく、人間として生きるということすら、モチベーションをあげないと叶わなくなる時代が実はもう来ている。
今後ますます・・・・この分離不安はたくさんの人の心の中に植え付けていくことになるのだろう。
そんな分離不安という感情を・・・・今、あたしは、自分も含めて、だけど・・・・
どうやったらひとりでも多くの人がこの感情をクリアリングできるんだろうと、模索する日々を送っている。
せっかく生きているのに、そんなヤツのせいで、自分で自滅なんてしたくないもん。
だけど、・・・時には・・あーぁ、このまま、何もできないで、終わってしまうのかなぁ・・・とか、そんなことも考えたりもする。・・・・そんなときは完全に分離不安を感じてる状態だ。
今、これを打ってて、思い出したのだけど・・・あたしは小さいころ、よく迷子になった。
面白そうなモノがあると、ついつい止まってみてしまい・・・そして、氣がついたら、誰もいない。
その度に、置いて行かれた、あたしはひとりぼっちだ・・・・という悲しさと辛さを感じてた。
そして、泣き喚き、店の人のアナウンスで、迎えに来てくれるのはいいが・・・・よくその場で怒られたりしたものだ。
そんなことを積み重ねるうちに、いつしか迷子になることもなくなったけれど、子供のころによく感じてた、”ひとりぼっちだ・・・・”という感情と、一度もやさしく”心配したよ”と声をかけてもらえなかった悲しさをまだ心のどこかで抱えているのか・・・・
そうか・・・・この時の経験が今のあたしの中に潜んでいる分離不安の要因のひとつなのかも。
いずれにしても・・・この問題とはしばらく向き合う日々は続きそうだ。
でも、この部分をクリアリングできた時、あたしは多分、誰かのために何かをできるタイミングを得ることになるのかもしれない。